自分の行動でヨガをする。
ポーズで体を動かしてスッキリさせる印象が強いヨガですが、本来は自分の体と心を調和させ、心を穏やかにすることです。ヨガの教えには心の動揺やモヤモヤを沈める知恵がたくさんあります。その中の一つにカルマヨガがあり、自分の行為がもたらす結果や反応に惑わされず、心を平穏に保つ方法です。
一見、むずかしく聞こえますが、いましていることをやり切り、それに対して見返りを求めず、執着しないこと。普段の生活での行為に集中し洗練させることで、自分の頭の中にある余計なものを手放すことができます。
カルマヨガとは
紀元前2500年以前から実在するヨガ。その昔は苦行を自分に課し、瞑想することで浄化し、そして、悟りを開いて自分を超越するものでした。その後、知識がない人でも取り組めるように普及したヨガがあり、その中の一つがカルマヨガです。この教えは、古代インドの大叙事詩マハーバーラタの一部、バガヴァット・ギーターに記されています。
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。 (第2章 47)
アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。 (第2章 48)
(バガヴァット・ギーター 上村勝彦訳 岩波書店発行)
※アルジュナ:古代インドの叙事詩、マハーバーラタに登場する主人公のひとり
古くから存在するカルマヨガを、どうやって日常生活に取り入れるのか。まずは、カルマヨガの考え方から解説したいと思います。
カルマヨガの考え方
ヨガの思想で、カルマ(行為)は以下を意味します。そして、カルマは必ず結果をもたらします。その結果に執着にないことがカルマヨガなのです。
行いを意味する。
自分の行為によって、良くも悪くも報いは返ってくる。いわゆる因果応報です。良い行いをすれば良い知らせが来て、悪い行いをすれば悪い知らせが来る。これはヨガの哲学でも語られています。
業を意味する。
物事には原因があるから結果があること。過去や前世での行為は今や現世に影響し、いましていることは未来や来世に影響すると言われています。どんな良い行いをしても、過去の行為が影響し、必ずしも良い結果にならないこともあります。またその逆もあり、今までの行いが影響し、大した事をしていないのに、思わぬ方向に事が進むこともあると言われています。
そして、あるがままに受け止める。
私たちには感情があるので、自分の行為の成り行きに一喜一憂します。自分のしたことが思い通りに行かなかったり、願っていたことがかなわず残念に思ったり。また、思いもよらないことが起って嬉しく感じたり、頑張っていたことが身になり報われた気分になります。
それに対して、カルマヨガはこの感情を出さずに、何事も同じように受け入れましょうと言っています。いまの自分の行為を洗練させてやり遂げ、その行為の結果をあるがままに受け入れる、ということです。
物事を精一杯やり遂げて、その達成感で心が満たされる。その後の成り行きは、良くも悪くもすんなり受け入れたことがあると思います。この経験がカルマヨガです。また、ボランティア活動も同様です。誠意をもって助け合う気持ちで自ら進んで行動する。困っている人たちからの見返りは求めない。そして、その活動を通じて自分の物の見方や考え方が変わる。これもカルマヨガの一環と言われています。
身近な出来事をカルマヨガの視点で検証すると
もっとわかりやすく、日常で起こりうることを3つ挙げてみました。それをカルマヨガの視点から検証します。
電車の中で
電車の中で席をゆずる時の心の在り方を思い出してみます。相手からお礼を言われるとちょっぴりうれしいけど、何もなかったらなんだか残念な気持ちになる。この感情を検証すると、席を譲ったときの反応を期待するから、相手のリアクションを評価してしまうのです。
カルマヨガを実践していれば、相手の行動に自分の感情がなびくことはありません。お礼を言われたら軽く会釈する。何もなかったらその場を立ち去るだけです。
職場のなかで
職場でのあいさつでも読み取れます。隣の同僚はにこやかにあいさつしてくれるけど、遠くで座っている同期は面倒なのか反応が悪い。少し同期の態度が不快に感じますが、彼がいつでも誰にでも反応が悪いことがわかると、そうなんだと諦めがつき、何とも思わなくなります。
この「何とも思わない感覚」がカルマヨガです。あいさつしたらそれで終わり。相手の反応は気にせずに淡々とする。でも、きちんとこなす。相手を理解するまで自分の感情が入るのが普通ですが、カルマヨガは、どんなときも相手の態度に揺さぶられないことです。
家事をしてるとき
家事にも通じるところがあります。例えば、部屋の片づけや掃除をしているとき。はじめは面倒に感じるけど、黙々とこなしていくうちに、部屋がきれいになるのを見て、心が段々と晴れてくる。これは黙々と作業することで、心の中にある余計な感情が消えて、スッキリする気持ちの表れと言われています。
カルマヨガの真意とは?
カルマヨガの真意は、行動を通じて本来の自分に気づくことです。自分の行為に没頭し、やり終えた瞬間によかったと思えることです。席をゆすった時に、相手がつらそうだったから譲ってよかった、と思える瞬間。職場のあいさつも、ひととおりしたから今日の仕事を始めようと切り替えて、前向きな気持ちで次の作業を進める。そして、掃除を終えた爽快感。これらはカルマヨガを実践しています。
そして、ある本にカルマに対する受け方について、こう書いてあります。
14 カルマは、善業に起因するものは楽、悪業に起因するものは苦として結実(業報)する。
(インテグラル・ヨガ パタンジャリのヨーガ・スートラ スワミ・サッチダーナンダ著、伊藤久子訳、株式会社めるくまーる発行)
善いことをすれば幸と楽を、悪いことをすれば苦を味わう。自分の人生が幸福であろうと不幸であろうと、それは自分自身の創作なのだ。他の誰の責任でもない。このことを忘れずにいるならば、あなたは誰も責めようとしないだろう。あなた自身があなたの最大の敵である、と同時に最良の友でもある。 ― Ⅱ サーダナ・パダ(実修部門)―
この本には、苦を受け入れても、それを乗り越えたら苦ではなくなり、楽を味わっても、それが終わりに近づくと苦に変わる、と書いてあります。良い方向に向かうのも、悪い方向に向かうのも自分次第です。まずは自分と向きあい、今の行為に集中し達成感を得て、戻ってくる結果に惑わされずに平然と受け入れる。そうすることで、自分の人生をよい方向に進めることができるのです。
ヨガのレッスン中に、カルマヨガを実践。
カルマヨガは通常のレッスンでもします。回りのことを気にせず自分に集中する。自分の内側に意識を向け、体が訴えていることに耳を傾けます。自分の強さ、弱さ、良さをポーズを取りながら感じてください。
classmall では通常のレッスン他に、瞑想やマインドフルネスのレッスンもあります。違ったアプローチで自分の心を整えると、カルマヨガの見方も変わっていきます。
ヨガはこれだ、という正解がありません。ヨガの最大の目的は、心の中にあるざわつきをいかに落ち着かせるかです。カルマヨガ以外にも心を鎮める知恵はあります。ご自身でできるものから初めて、少しでも心を平穏にしてすごせるといいですね。
なお、カルマヨガは古く伝わるものなので、仏教、ヒンドゥー教、バラモン教などにもカルマに関する教えが存在します。この記事は、わかりやすく今の風潮に合わせて解説をしています。